南米との関わり

常石グループと南米との関わりの歴史は、1950年代の移民事業から始まりました。以来、常石グループは、さまざまな活動をとおして、ウルグアイ、パラグアイの地域と移民の皆さまへのサポートを続け、長年にわたって良好な関係を続けています。

パラグアイは、中南米地域最大の市場であるブラジル、アルゼンチン、ボリビア、ウルグアイ、4カ国の中心に位置する、広大で肥沃な国土に恵まれた農業立国です。工業部門においては、マキラ(保税)制度をはじめとする外国投資奨励措置の導入が始まり、低税率、多くの若年労働者および豊富なエネルギー源を持ち、新規産業育成に最も適した国です。

このような状況のなか、近年パラグアイの経済成長を推し進めている要因の第一が、大豆生産と国際市場への輸出であり、サイロ、港湾、道路、輸送船など、新たなインフラ整備の需要が活発です。燃料価格の高騰から、従来の陸路輸送から河川輸送へと移行しており、バージ船団の需要はますます高まると期待されます。

この需要にこたえるべく、2012年からバージ船団の建造、中古船の修繕事業を開始しました。造船事業を核としながら、河川輸送事業、農業牧畜事業、中古自動車部品の取り扱い、農機具のリース事業など、幅広い分野に挑戦し、推し進めていきます。常石グループは、パラグアイの経済、そして人びとの発展に貢献し、ともに未来を歩んでまいります。

常石グループ代表 神原 眞人

南米における歩み

未来を共有する。単なるビジネスパートナーを越えて。

 南米と常石グループの関係は大変長く、戦後復興期の1956年に当社2代目社長の神原秀夫が広島県(現・福山市)沼隈町の町長として、パラグアイへの移民団を結成したことに始まります。この長い歴史の中で培われてきた、地に足の着いた真の友好関係こそ、私たちが求める最終目標であり、これからのグローバルビジネスに期待されるものと考えます。未来を共有すること。 これこそが常石グループが世界と向き合うスタンスです。

1956年4月
第二次世界大戦後の復興期、当時沼隈町長であった神原秀夫は、農村の新たな天地として、ブラジル、パラグアイでの移住者受入れが可能かどうか調査。

1956年10月
パラグアイでの受入体制、農地の提供など基礎的な受入条件が揃ったため、沼隈町およびその他の出身者で移民団を結成し、延450名余りが渡航。
1957年
神原汽船がパラグアイのエンカルナシオンに事務所設立

1975年6月
常石より、10人程のチームを組んで、アルゼンチンに出発。政情は極めて不安定であったため、ブエノスアイレスからウルグアイのモンテビデオに移り農政調査を実施。

1975年10月
「神原ウルグアイ株式会社」を設立し、同国のロチャ県において、農牧用土地17,000Haを購入(その後、肥育牛6,500頭、年間約5000トンのジャポニカ米をブラジルに輸出)。

1981年
常石グループは内陸国であるパラグアイからの穀物、綿花の輸出のサービスに貢献するため、「神原パラグアイ」を設立。貨物船2隻、バージ2隻で、河川輸送を開始。(その後、南米経済の緊迫、輸送貨物の激減のため1990年に閉鎖)

1982年3月
「モンテビデオに2000トン級の船台を持つ造船所が竣工。同造船所で、パラグアイ国営商船隊向けタンクバージ4隻、ブケブス向け客船(カタマラン)2隻、漁船2隻を建造。

2008年6月
「Glocal Japan INC」はパラグアイの首都アスンシオン市より南方約40kmのビリェタにある農地約26,000Haを購入し、同年10月に「Glocal South America」を設立。牧畜・農業を開始。

2011年6月
内陸でもあるパラグアイやボリビアで生産される農産物や鉄鉱石の輸送効率化を目指し、河川輸送の能力を増強するために、造船工場の建設開始。バージ建造と船舶修理事業に着手した。2012年1月第1隻目を建造開始し、2013年9月に初のバージ船団12隻を引き渡し。2014年はバージ40隻の建造を予定。
「神原基金」「 パラグアイ神原育英会」

パラグアイ日系社会の産業振興と子供たちの教育充実のために。

常石グループでは2007年10月、パラグアイ日系社会の産業振興を図る「神原基金」と、子弟教育の充実を図り、優秀な後継者を育成するための「パラグアイ神原育英会」を創設しました。「 神原基金」はおもに農業基盤整備の推進に役立てられ、「パラグアイ神原育英会」は日系子弟・大学生の奨学金給付、日系教育機関の運営助成金給付などの事業に役立てられています。 これらの活動はパラグアイ日系社会の産業発展や人材育成に寄与し、パラグアイ社会と日本の国際交流を深めることに繋がっています。